頼山陽歌碑
漢詩碑全文

 到 竹 原 與 秉 甫 同 舟 赴 廣 島

   來 路 遙 遙 指 海 暾
   心 期 明 日 見 慈 尊
   朝 烟 漸 散 波 如 織
   柔 櫓 揺 過 猫 子 門

              頼  山陽

漢詩の意味

遙遙の船旅、行く手には今、朝日が昇っている。
心に明日は母に会えるな、などと思っているうち
朝霧がだんだん晴れて、小舟は織りなす綾波に揺られながら
猫之瀬戸を通った。

人物
頼 山陽(らい さんよう)(1780ー1832)は江戸時代後期の学者で、父は広島藩儒頼春水、少年時代から詩文の才を示し、十七歳のころには早くも歴史書の執筆に興味をもった。
21歳の年、脱藩して罪を得、邸内に閉居された。
しかし、このことがかえって思いのままに読書し、著作に励む機会となり「日本外史」、「新策」の初稿が成った。
32歳のときに京都へ転居、その後全国を遊歴し、文人、学者と交わり多くの詩を残した。
また、書にも励みて、多くの逸品を残している。
この詩は、天保元年(1830)6月21日、乗甫(頼春風の養子)と共に、竹原から広島に行く途中、橋下の猫之瀬戸を通ったときに詠まれたものである。

このページを閉じる